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#542 手だけでなく鼻と喉も洗おうという話
インフルエンザなど感染症が猛威をふるっています。学校では学級閉鎖どころか学年ごと閉鎖になっているところも珍しくありません。
この3年半を経ていまさらですが、洗鼻・洗喉を心がけましょう。「手を洗おう」と言いますが、風邪は手から感染するわけではありません。あくまで鼻や喉の粘膜から罹患します。
ですから、どれだけ長時間ていねいに手洗いしたところで、それだけでは意味がない。あくまで鼻や喉を汚染しないための「手段のひとつとして」手洗い「も」しましょう、ということですよね。
けれども、手段はすぐに目的化します。「感染症を防ぐ」という本来の目的よりも、「手を洗う」ことそのものが目的化してしまうのです。
トイレのあとで、チャチャっと指を水にふれて衣服でピっと拭く人を、よくみかけます。手を洗うという手段が目的化し、手を濡らすことそのものが目的化しているのです。
この「手段の目的化」には、とても気をつけなければいけません。「手段の目的化」のワナにはまると、時間をムダにすごしているのに、タメになる何かを「やってる感」にとらわれてしまうからです。
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思い起こすと2019年以前、満員電車の混雑緩和のための解決策が議論されていました。例えば時差通勤や、在宅勤務や、都心から郊外や地方へのオフィス移転などです。
そのうち在宅勤務は2020年から一部現実になりました。しかし、いまは多くの企業でキャンセルされています。なんせ、オンライン会議を提供する企業みずから出社を推奨しているほどです。
この3年半の実験でわかったことは、「人間は、急激な・非連続な変化はできない」ということです。人間の変化というものは、徐々に・連続的にしか起きません。対象の物事が広いほど・大きいほど、非連続な変化は起きなくなります。それを人為的に起こそうとしても、すぐ元にもどってしまいます。ヒトは本質的に「非連続な変化」を嫌うということです。
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もちろん、個人も組織も、非連続なアクションを起こす必要に迫られることがあります。原因は、個人や組織をとりまく環境の変化です。「いままでと同じでは生き残れない」という危機的な状況になると、ヒトは仕方なく「非連続な変化」を受け入れます。
危機的な環境の変化とは、例えば「一年半以内に資格を取らないと組織に残れない」とか、「インフレが激しいので銀行預金を引き出して投資に回さないといけない」というようなことです。
同じように組織や社会も、「改革」なしには衰退間違いなしという状況に追い込まれることがあります。例えば、これからもっと原油価格が高騰していくとなれば、原料やエネルギーとして何か別のものを探さないといけません。
また、自然災害はヒトに否応なしに非連続な大変化を強要します。もし富士山が噴火すれば、火山灰の影響で風下のエリアはコンピュータネットワークが使えなくなる、というような事態です。
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ヒトは上記のような危機的状況におちいると「非連続変化」に対応しようとします。しかし、初期の大変動をどうにか乗り切って、これはどうやらサバイバルできそうだとなると、長続きしません。
なぜならヒトは「復旧」したくなるからです。文字通り「旧に復する」ように動き始めるのです。
「大きく環境が変わったのは認める。けれども、それでもどうにかして以前と同じやり方に戻れないか?」
「ファーストインパクトを乗り切れた今となっては、そんなに大きく変化しなくてもいいんじゃない?」
「大きな変化をやってみたけど、マイナスのほうが大きいね」
(まさに在宅勤務で言われておること)
マジョリティがそう考え始める。なぜなら慣れ親しんだやり方のほうが圧倒的にラクだから。
とはいえ、一度始めてしまったことはすぐにはやめにくい。まして「当社は変わります!」と外部に宣伝してしまったとすると、とてもやめにくい。
この段階で起きるのが【手段】の【目的化】なんです!
つまり、本来の【目的】を形骸化させ、とにかくひたすら【手段】を実行することだけを【目的】にする。
よくある例が大きな事故や不祥事を起こした組織の「再発防止策」ですね。【目的】は文字通り「再発防止」だったはず。しかしいつのまにか「策」を実行することだけが残る。
「上長のダブルチェックが必要」という【手段】をさだめたのに、いつのまにか「チェックしましたという欄にハンコを押す」という「策」だけが残るのが、典型的な例です。ロクに見ないで捺印する上司が後を絶たない。ひどい上司だと、ハンコをアシスタントさんに渡して代わりにペタペタ押させたりする。
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なんのために上長のハンコを推すようになったのか?という【目的】を忘れなければ、ハンコをアシスタントに任せるなんてことは起き得ないわけです。不祥事が起きた直後には、そんな不届きな管理職はいなかったはず。
しかしヒトは、ファーストインパクトを乗り切ると、どんな大きな環境変化であっても「復旧できるんじゃないか?」と考えたがるのです。
ということで、組織でも個人でも、【手段】の【目的】化が起きているところには、大きなリスクが潜んでいることが多いです。繰り返しますが、その【手段】を採用したときには、そうしないと「環境の非連続変化」に耐えられないという危機感があったはずなんですよね。
その「環境変化」はもう無くなったのか?
たんに、第一波をどうにか乗り切れたというだけなんじゃないのか?
なぜこの【手段】が実施されているのかについては、つねに意識を向けるようにしなければなりません。天災も人災も、「忘れたころ」にやってくるのです。
とりあえずは、洗鼻・洗喉を、あらためて徹底してくださいね。
TAC USCPA講座/草野龍太郎 講師