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#509 「苦しいけど楽しいこと」だけが長く続く(1)
このコラムでは昨年から、みなさんの「新しいことを学ぶ努力」を長続きさせるためには、いったいどうすればいいのか?を考え続けてきた。
まず大事なのは、カラダから脳へエネルギーを分け与える仕組みの理解だ。カラダからのエネルギー供給量の追加なしには、「新しいことを学び続ける」ことはとてもできない。続かない。
そして、その仕組みを自動化する手順の理解。これは別名「習慣化」と呼ばれているものだ。
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脳へのエネルギー供給が習慣化し、学ぶことの苦しさがだいぶ減らせたとしよう。では、そうなりさえすれば、学びの取り組みは長く続くのだろうか?
草龍は、それは違うと考えている。物理的なエネルギー供給は、脳が努力を長続きさせるための【必要条件】にすぎない。
では長続きの【十分条件】は何か?それはやはり「楽しい」と感じること、これ以外にないと思う。
ここでポイントは、「苦しい」と「楽しい」は【反対語】ではない、ということだ。いいかえると、「苦しい」の反対は「苦しくない」「ラク」であり、その「ラク」は「楽しい」とはぜんぜん違うということでもある。
「苦しい(ラクでない)」かどうかと、「楽しい」かどうかとは、別の概念なのだ。したがって、われわれの取り組みは、下記の4つに分類することができる。
苦しい(ラクではない)x楽しい
苦しい(ラクではない)x楽しくない
苦しくない(ラク)x楽しい
苦しくない(ラク)x楽しくない
この4つのうち、真に長続きするのは「1. 苦しいけれど楽しい」だけなのではないか?草龍はそういう仮説をもっている。
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2と4は、後半の「楽しくない」が共通している。
「2.つらくて、しかも楽しくない」は、言うまでもなくダメに見える。しかし、このダメ状態にハマってしまっている方々は驚くほど多い。というか、現代社会はほとんどの方がこの状態を強いられているのかもしれない。
「つらくて、楽しくない」は長続きしない。一見続いているように見えても、それはやめられないだけだ。
楽しくない苦行を強制されると、ヒトはそれをいかに「耐える」「やり過ごす」か、それしか考えられなくなる。「終わるのが待ち遠しい」という心理状態である。
そんなことでは成果は身につくわけがない。身につかないから、さらに楽しくない。そんな悪循環の果てに、それでも辞められない自分をミジメだと否定するようになる。そして激しく他責する。
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この10年ほど、状況はすこし変わりってきた。《逃げるは恥だが役に立つ》というハンガリーのことわざがTVドラマで世に知られたのは2016年のこと。
とはいえ「逃げる」ときには、当然ながら「苦しさから逃れさえすれば」という気持ちでいっぱいになる。するとその先にあるのは往々にして
「4. 苦しくはないが、相変わらず楽しくはない」
という、新たな魔境である。
2017年ころに激化した《働き方改革運動》の結果、とてもホワイトな職場が急増した。昔と異なり、「苦しいです」「やりたくない」と宣言すれば、「あああ、ムリしないでね」と手厚く保護される。それが普通になってきた。
ホワイトな労働環境は絶必だ。しかし、楽しくもないのにオーバーホワイトな環境は、むしろ危険である。「以前と違ってつらくない」というだけで、その環境に安住してしまい、それを辞められなくなるからだ。
つまりこれは【惰性】である。われわれが目指す「持続的な学ぶ努力」とはまったく異なるものだ。
この「楽しくはないが、苦しくないのでOK」な【惰性】に囚われると、そこから脱出するのはかなり難しい。真冬の朝に布団から抜け出せないようなものだ。
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ここまでをまとめると、「2. 苦しくてしかも楽しくない」や「4. ラクだけど楽しくない」という環境にいながら「新しいことを学び続ける」という習慣を獲得するのは、極めて困難だということだ。
では、2や4とちがつて、楽しければそ」でいいんだろうか。
「3. 苦しくなくて(ラクで)楽しい」
も、じつは長くは続かない。意外に思う方もおられるかもしれないが、理由は明白だ。それは、【虚しさ】に襲われるからである。
(次回につづく)
TAC USCPA講座/草野龍太郎 講師