資格の学校TAC > TACメールマガジン > 米国公認会計士バックナンバー
教室で「講師の話をよく聞いて、内容を理解する」ことに苦戦している方々がおられる。
なかでも、話を聞いて理解する「かわりに」、【黒板に書かれたものを丸写しすることに脳のリソースを消費してしまっている方々が、本当に多い。】
察するに、小学校低学年のころから、「ただただ書き写すという行為」が「授業を受けること」だと教えられてきたのであろう。
とにかく受動的に、見たり聞いたりしたことをそのまま、書きうつす。
しかもそれを「キレイに」テイクノートしなければならないと信じ込んでいる。
先生や親など自分以外の誰かが見て「キレイね」と認めてもらわなければならないかのように。
だから、板書の書写の間に考えるヒマなんてまったくない。「授業」が能動的な学びではなく受動的な指先の運動に終始してしまう。
せっかく大人になって、人生を逆転させるために資格試験に挑み始めたというのに、子どものときから染みついたノートの取り方に支配されている。
その習慣を変えなければ、今までと同じように、効果はでない。
「講師の話をよく聞いて、内容を理解する」ということができないまま、時間を空費し、キレイなノートだけが出来上がっていく。
一方で、能動的に学ぶコツをつかんでいる方々(子どもたち)はどうしているのだろうか?
実は彼らには【「板書の内容をノートにコピーする」という意識がない。さらに言うと、「キレイなテイクノート」も、あまり気にしていない。】
彼らは、講師の説明が始まると「聞くこと」に集中する。
そして、【講師の「話」をのちほど再現するための重要ポイントを「あとで見なおす自分に教えてあげる」つもりで書き留める。
つまりノートは数時間後・数日後・数週間後の自分への伝言メモなのだ。】
そもそも、なんのためにノートを取るのか?それは、そのノートをあとで見返して、自力で講師の「話」を再現するためである。
ノートの力を借りなければ、一発ですべてを完全暗記することが不可能だから、【講義の記憶を呼び覚ますきっかけをノートに託すのだ。】
ここで気をつけたいのは、講師の「板書」の再現それ自体が目的なのではないということ。
「板書」は、講師の「話」を再現できれば、その「副産物として」再現できるはずなのだ。
逆に【「板書」だけを再現できても、講師の「話」を再現できるとはかぎらない。
まさしく「板書をノートに書写するだけでチカラ尽きている方々」がそうで、肝心の「話」を全く思い出せない。】
【板書の図を正確にキレイに書き写すことだけに熱中して、「話」を聞いていないから、そもそもなんでこんな図を講師が書いたのかすら、わからないわけである。】
しかも、そういう受講生さんたちは、講師が板書しなければ、何もメモを取らない。
一方で、コツがわかっている受講生さんたちは、講師の「話」の要所要所を、未来の自分のためにメモをとる。
なぜなら、彼らは「謙虚」だからである。
要するに、数時間後・数日後・数週間後の自分が、いま聞いた講師の話を楽勝で再現できる、などとは「過信」していないのである。
「講師が板書したら、それをキレイにノートにコピーする」ということだけに徹している方は、どうもこの「謙虚さ」が足りないのかもしれない。
全く根拠もないのに、未来の自分は「思い出せる」と信じている。
しかし、そもそも覚えていないことを思い出すことは誰にもできない。
板書のキレイなコピーに集中するあまり、何も聞いていなかった「話」を、後で復習する時に思い出せるはずがないし、まして試験本番で思い出すなんてありえない。
ということで、講義中は「話」を聞いてメモすることを最優先するべきですよ、という話でした。
これ、仕事でもまったく同じですよね。こちらの指示の肝心なところを一切聞いていない方、とても多いです。
子供の時から、先生が板書したものだけコピーしてきたから、上司が板書しないことは書写できないのですよね。
そこを抜け出さないと、仮に資格試験に受かろうと、転職に成功しようと、人生のギアチェンジは難しいです。
TAC USCPA講座 草野龍太郎講師