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#467「英語なんかできなくても困ったことはない」という人
英語とゴルフはできて邪魔になることはない、という方がおられます。日本で英語を使えるようになる「デメリット」は、本当に何もないのでしょうか。
草龍はあると思います。それは「怠慢な方々の嫉妬を受けること」です。
そもそも前提として、日本人の我々は、というか日本語を使う我々は、英語などの言語を話すことに向いていません。
いつも申し上げているようにこれは良し悪しや優劣ではありませんよ。向いていないのです。
というのも、日本語と英語は同じ「言語」のようにみえますが、しかし全然違うのです。
温泉とシャワーの違いというか。
ドライブを楽しむクルマやバイクと、貨物を運ぶトラックの違いというか。
とにかく日本語と英語は用途が違い、それにより機能が違うのです。
日本語が使われるのは「同質の確認」のためです。同じ田んぼをメンテナンスする同質な人々が、同質な<<感じ方>>を共有し合う。温泉にゆっくりつかる感じですね。
なので日本語の「会話」は、「対話」ではないし、ましてや日本語で「議論」はダメ絶対なわけです。
我々が他人の意見に反対するということは、その相手の人格を否定することですから。我々の会話は同質を前提とします。
それに対して英語などの言語は、「目的を達するための手段」です。異質な人々の異質な<<考え方>>を知り、フィット&ギャップを明確にする。
同質でないこと、ギャップがあることを前提とする。その上でコミュニケーションするための道具が、かれらの言語です。
生粋の日本人が英語も話せるようになるのは、そういう「異質を前提とするコミュニケーション手段」を身に付けるということです。
ひいては、人間はみんな一人一人「違う」という社会でも、コミュニケーションできる、ということです。
英語は決して才能だけで話せるようになることはありません。楽しみながらできるようになることもありません。
そんな範囲でできるようになるのは、日本語を英単語で置換した「英語っぽい日本語」です。よく日本のビジネスemailで見られる、アレですね。「おつかれ様です」から直訳するという。
英語ができるようになると飛躍的にチャンスが広がり、今後のサバイバルの確率も高まるのですけれども、それを明らかにすると、日本語の社会では猛烈な嫉妬を受けます。
「あなたは我々と同質であることがイヤだというのか?」「このムラに文句があるのか?」ということですね。
とはいえ、今後我々が長く生きて行くには、確実に英語が要るようになります。繰り返しますが、日本語を英単語で言えるようになることではないです。
互いの異質を前提としなければならなくなるということです。
US黒船来襲以来170年、日本ムラは他国の植民地化を免れて日本語だけで食ってきましたが、いよいよその幸福な奇跡の時代は終わろうとしています。
ですから、「嫉妬がこわいから英語の勉強をやめる」というのは本末転倒です。コツコツと勉強は続けること。
その代わり、あと暫くムラで生きていくあいだは、ムラの同質性をリスペクトすることを決して忘れないこと。
「だから日本は遅れている、ダメなんだ!」とわざわざあなたが悪口を言い、ムラ八分のリスクをおかさなくても、「変化」はもうすぐおきます。
そのときのために、こっそりひっそりと、「異質」と向き合うトレーニングを続けていればよいのです。
TAC USCPA講座/草野 龍太郎 講師