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2021/10/13
成功し続ける方法/450回 <深いところでナメている>
450 深いところでナメている



そのむかし(2006年)、第一回ワールドベースボールクラシックの日本チームが事前合宿したときの話。

イチローさんが松坂さんを叱った。

「疲れて、ナメてやってるだろ?わかるぞ、お前」

松坂さんは当時26歳、押しも押されもせぬ球界の大エースである。

「ナメて」「手抜き」していようがなんだろうが、叱られたことなど、ついぞなかったのかもしれない。

そこで松坂さんは失敗する。うかつにも、つい照れ笑いしながら言い訳をしてしまうのだ。

するとイチローさん(松坂さんの7つ上)は、激怒・・・などせず、ただ顔いっぱいに「軽蔑」の表情をつくって、こう言う。

「深いところで(野球を)ナメてやってるだろ?」

この名言をイチローさんに言わせてしまったのは、松坂さんの大失敗だった。このやりとりは永遠にネットに残り、ことあるごとに引き合いに出されることになったからだ。

===

成功し続ける人の殆どは、強い強い強い好奇心を持っている。そしてその好奇心の結果、疑問・アイディア・現状への不満などが、とめようもなく次から次へと浮かんでくる。

それらの解決や実現を決して諦ることなく、トコトン追求することで、「成功」がついてくるわけだ。

しかし世の中には、そこまでトコトン追求しなくても、もともと持っている「才能」だけでうまくやれてしまう方々もおられる。

こういう方々は「なんか知らんが、できてしまう」わけなので、当然ながら執念は必要ない。

「なんとかできるようになりたいからトコトン追求する」などとコスパの悪い努力をしなくてよいわけだ。

イチローさんは例外の一人で、すさまじい才能に恵まれていたのに、さらにトコトン追求する執念を燃やし続けた。

王さん、落合さんや野村さんなどのレジェンドたちと同じように、常に現在の自己を否定し続け、更なるアップデートを目指した。

松坂さんが、イチローさんたちと異なり、「野球をなめている」選手だったのかはわからない。

けれどもいずれにせよ、イチローさんが「深いところで」と付け加えたことには大きな意味がある。

「トコトン追求」などせずに、与えられた才能の消費だけに依存する選手でも、「表面的には」トコトン追求プロのように見せかけることはできてしまう。

まして松坂さんクラスなら簡単だ。だからこそ、今はナメていないかもしれないけど、いずれ何かのきっかけでダークサイドに落ちちゃうかもしれないよ。

イチローさんはそう警告したかったのかもしれない。

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イチローさんと松坂さんのような超ハイレベルの話を、我々「ふつうの人たち」が仕組みで回している職場に持ち込むことは、適切とはいえない。

現代の(大きな)組織は「仕組み化」が進み、「属人化」を排除して標準化がはかられている。

これは「標準的な(ふつうの)人たちに、ルールベースで仕組みに沿って働いてもらう」ということで、我々日本人のDNAになじむやり方である。

そこでは、忠実・従順・同調は強く求められるけれども、「深いところでもナメていない」ことまでは要求されない。

ナメていることがバレバレなのはいくらなんでもまずいが、表面的に「ナメていないように見える」だけで十分だ、ということだ。

これ、実は今に始まったことではなく、日本人の精神のひとつの大きな特徴である。「建前と本音」と呼ばれるものの正体だ。

表面的に「みんなと同じにふつう」と見えるように振る舞うけれども、「こころの中」は他人に支配されず自由、ということだ。

これは、外形上は「個人主義」「個の独立」のようにみえる異文化圏で、内面では「唯一絶対神」に従っている、というのと好対照をみせている。

日本では、内面が自由で個々バラバラなものだからこそ、強烈な同調圧力でもって表面的な画一性を担保しなければならないのだともいえる。

ということで前置きが長くなったが、申し上げたいことは、日本人はデフォルトが「深いところではナメている」のである。

繰り返すが、それが悪いとか、だからキリスト教国などは日本と違ってすばらしいとか、そんなことを言っているのではないことに注意していただきたい。

皆さんの所属先が経理部署であってもなくても、新人さんに対しては「気軽に聞いて」「なんどでも聞いて」と言わなければならなくなっている。

「前にも言ったよね?」「そのくらい自分で考えなさい」は、令和職場のNGオブNGワードとなった。

まして「おまえ、(深いところで)仕事ナメてるよね」などと言おうものなら、あなたのキャリアに大きな傷がつく。

たしかに平成のころまでは、職場で同僚さんたちに「本気度」を求めることが「正しい」とされていた。その考えに基づく「厳しい指導」も是認されることが多かった。

しかし現代組織は、その巨大なムダをかかえていくという方向に大きく舵を切った。

限られた異才の超人的パフォーマンスでは、組織は「成功」できても「成功し続ける」ことはできない。

「ふつうの人たちを集めて仕組みで回す」ことができないと、現代の事業はスケールしない。

そのための必要不可欠な固定費として、「深いところでは本気でない方々」を大量に雇用してマネジメントしてゆくということを、企業は選択せざるを得なくなった。

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それだけにみなさんは、個人としての能力を磨くためには、「深いところでもトコトン追求」の姿勢に立ち返っていただきたい。

組織人としては、あなた一人だけ「トコトン」をやろうとしても、「マジメなのかよ」「俺たちもやらなきゃいけなくなるだろ、迷惑だよ」などと壁にあたるだろう。

それはおすすめしない。

そのかわり「個人としては」、ぜひ「ナメずに追求」を心がけていただきたい。

そのためには、人にものを聞くときの態度から変えていこう。「何でも聞いてね、怒らないからね」というヌルさは、団体行動のときだけにする。

まず自分で考え、問い合わせしたりして、そしてなんなら試しにやってみて、それでもどうしても困ったことについて、「具体的に」聞くようにする。

抽象的な質問には、抽象的な回答だけがある。極力具体的に質問すれば、質問される側も具体的なアドバイスが可能だし、何よりもお互いの時間が無駄にならない。

「なんだ、本気ってそんなこと?」と思うかもしれないが、実践してごらんになるとよい。

おそらく「そんなこと言われたら、人に質問できないよ」と閉口するに違いない。

それこそが、皆さんが「深いところでナメている集団」に同調している証拠である。

しつこく繰り返すが、そのこと自体は必要なことなので何も悪くない。ただ、その集団を離れた「個」になったときのダウンサイドリスクが大きい、と思うばかりである。


TAC USCPA講座/草野龍太郎 講師
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