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#433 『成功』の害悪
連休でコラムがお休みの間も、最前線の関係者の皆様の献身的ご努力には頭が下がるばかりでした。
ただ、それとは別に、この国が全体として「数十年前の<<成功>>の害悪」から未だに逃れられていない。そう思えてならない日々が続いています。
<<成功>>は、害悪をもたらします。
哀しい害悪は、他人に高く評価されることが「目的化」すること。そして恐ろしい害悪は、<<成功>>の原因が自分たちの「優秀さ」だと思い込むことです。
これらの一次害悪には、<<失敗>>ができなくなるという二次害悪が、もれなく付いてきます。これが何よりよろしくない。
草龍が大切にしている名言のひとつに「<<失敗>>は、結果ではなく、<<成功し続けない方法>>を学ぶ過程だ」というのがあります。
この意味は、<<失敗>>は「<<成功>>でなかったアウトプット」なのではなく、あくまで「インプット」なのだ、ということです。
さらに言えば、ひとつの<<成功>>も「アウトプット」だと思ってはダメで、あくまで「<<成功し続ける>>というアウトプット」のための「インプット」に過ぎない、ということでもあります。
ひとつの<<成功>>を、よい「アウトプット」だと喜んで酔ってしまうと、上記の「害悪」に取り憑かれるわけです。
資格試験はスポーツと似ていまして、ひとつ<<成功>>という結果が出ると、すべてが肯定されやすい。
今までやってきたことは正しかった、努力は報われた、自分は優れている、という呪いに容易にかかってしまうのです。
<<合格>>したときも、何問か間違えているわけで、あくまでそれが致命的な失点ではなかったということでしかない。
受からなかったならば「どこが、なぜ、できなかったのか」と執念深く反省して何よりのインプットになるところを、<<成功>>をアウトプットだと思ってしまうと、もう間違えたところをほじくろうとは思わない。
ひとつの<<勝利>><<合格>><<成功>>によって、貴重なインプットの機会をロスしてしまうのが人間のサガです。
それにより、ひとつの<<成功>>までに取り組んだことだけがハッピーな記憶としてインプットされ、次もこのやり方を再現するぞ!という意欲とともに強力に刻まれる。
ひとつの<<成功>>をアウトプットだと思ってしまうと、自ら変わるということに強い制限がかかってしまうわけです。
しかし、ゲームや試験やビジネスなどの「何か」が変われば、前回の<<成功>>時に通用した記憶は通用しなくなり、新しいやり方への変更を迫られる。
つまり、変わり続けるしか<<成功し続ける方法>>はないんですよね。
そのためには、また新しい手法、慣れていない手法、予想がつかない手法を試し続けないといけない。
当然、また<<失敗>>というインプットの可能性が増えるのですが、<<成功>>アウトプットの美酒の味を覚えてしまうと、もう<<失敗>>というインプットは怖くて恥ずかしくて、とてもできなくなるのです。
まさに「<<失敗>>するくらいなら<<成功し続ける>>なんて要らない。一度の<<成功>>の甘い記憶を抱いて、あとは没落していっても構わない」となるのは、こういうことです。
「健康のためなら死んでもいい」というギャグがありますが、それを地で行く感じですね。
<<成功>>の体験はただのインプットの一つに過ぎません。それなのに、勘違いしてアウトプットとして記憶すると、強烈な慢心という最凶の害悪を自らに刻み込んでしまうことになります。
そんな惨めなことになってしまうくらいなら、一つ一つの<<成功>>の記憶は、いっそ意識的に捨て去るほうがよくないでしょうか?英語には、そういう行為を指す Unlearning と言う単語があります。
TAC USCPA講座/草野龍太郎講師