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政治的な意見をここで書く気はまったくない。と断ったうえで.....
US大統領選は、負けた方が「負けました」と表明することで終わるという不文律というか慣習があると今回知った。将棋の「投了」みたいなもんだろうか。
その際、敗けた候補者にとっていちばん重要なことは、その支持者たちに敗北を受け入れてもらうことだそうだ。
そのために、敗けた候補者は、対戦相手の勝利をいさぎよく祝福する。そして対戦相手を支持することを約束し、さらに【ここが肝心→】支持者のみなさんも勝者を支持してくださいと訴える。
ただし、勝者を支持するということは、こちらの主張をぜんぶ引っ込めるというのとは違う。これまでの問題提起や改善のための代案提案は、今後も続けよう!と宣言する。これで敗北宣言が終わる。
この敗北宣言の構造は、USで、ルールに従って敗けた者のスピーチのテンプレート(ひながた)として広く使われている。政治だけでなくビジネスでも、スポーツでも。
ポイントが2つあると草龍はおもう。
??1つめは「ルールには従わなければならない」と強調することだ。民主主義というルールに従ったゲームで敗けた以上、敗けを認めないと民主主義を否定することになる。それはけっして許されない。
??2つめは「敵のリーダーシップのもとに団結することと、自分たちの意見を封印することは違う」とハッキリさせているということだ。
これらのポイントをふまえてしっかりと支持者に敗けを受け入れてもらえれば、を引っ込みがつかなくなる」状態、事態の泥沼化という最悪の事態は回避できる。
ところが日本では、そういう最悪の争いが、よく起きる。それは、ポイントの1と2、どちらもこの国ではとても難しいからだ。
??まず1。そもそもわれわれの社会は、ルール至上などで動いてはいない。その逆に、とても多くの人々に
「ルールがあるからとたてにとるのはよくない」
「ルールを振りかざすべきでない」
「ルールはその場その場で柔軟に運用されるべきだ」
などと確信されている。
また、「偉い人は、ルールを作り、率先して守る義務がある」とも思われていない。逆に「偉い人は、ルールを守らなくていい権利がある」と信じられている。
??もう一つのポイント2では、日本では他人の意見に異論を唱えることは他人の全人格を否定することになる。議論はそもそもしてはならないものである。だから、民主主義を守るために異論をもつ敵のリーダーのもとで団結しながら、こちらも建設的に異論をぶつけていく、なんて芸当はけっしてできない。
このため日本では、「支持者に対して自分の敗けを受け入れてもらう」ことは、たいへん難しい。「わたしの責任において失敗を公表させてほしい」とトップが頼んでも、部下たちがけっしてそれを許さず、「殿、ご乱心」と発言を封じてしまうことすらある(江戸時代からの伝統『主君押込』だ)。
日本企業には「撤退」「損切り」の決断ができる経営者が少ないといわれるが、実態は決断できないのではなく、決断を許されないというべきである。
そこで多くの「賢い敗者」がとる戦略は、「時間が過ぎて支持者にあきらめてもらえる(もうそれはいいよと言ってもらえる)のを、ただただひたすら待つ」ということになる。「その日」が訪れるまでは「けっして敗けを認めず、努力している感」を、来る日も来る日も発揮し続ける。そのために投入されるカネ・時間・ヒトなどのコストは、だれも無駄遣いだとは批判しない。
まとめよう。組織の長に「失敗を認めさせない」「損切りさせない」という集団行動は、「法治を嫌い、人治(徳治、大岡さばき)を愛する」「議論を憎み、全員一致を建前とする」という国民性に根ざしたものである。
この大きなチカラに逆らって何かがうまくいくことはまずない。「成功し続けて、将来は『利他』できる力をつける」ことを目指す読者のみなさんは、いまは軽挙妄動することなく、「賢い敗者の戦略」をしみじみと実践していただきたい。
その分、いち個人受験生としては、おおいに「失敗」しまくってそれを認め、しっかり学習の効率をあげてほしい。リアル「失敗」をする前に想像力を働かせ、本番で失敗しそうになったとき《キープ客観&ステイ上機嫌》ができるように訓練すること。日本の組織集団では無理だが、個としての修行ならいくらでも可能なはずだ。