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父の日に、今は亡き父と、同じくすでに亡くなった義理の父の二人のことを思った。
二人の共通点を二点挙げるとすると、一点目はともに人物評価がとても厳しかったこと。二点目は、それなのに二人とも、草龍の40年来の親友の男に対して、一目も二目も置いていたことだ。
その草龍の親友は、アーティストのプロデューサーとして活躍している。しかし彼はあくまで自らの本業を「売れないヒーローアニメ歌手」だと言い張り、「やむなく副業で」プロデューサーをやっていると主張し続けている。
言うだけあって、彼の歌唱力は抜群だ。自費でオリジナル曲を作り、スタジオ収録までした。ある地方の大企業のオーナーがそれを買い取って、一時その会社のコマーシャルソングになっていたほどだ。
さて、その彼が「あくまでも副業として」向き合っている若いアーティストに対して、
「気を遣うな、気を配れ」
と指南していると聞き、改めて感服した。
以下は、草龍の勝手な解釈だが、、、
気を遣う:
こうすれば相手は「快」と感じるに違いない。それが俺にはわかる。だから、そう振る舞ってあげよう
気を配る:
どうされたら「快」なのかは、人それぞれ。他人の俺にはわからん。その前提で「他人がどう感じているか」を見逃さないようにしよう
この二つには、大きな違いがある。
つまり、「気を遣う」という意識のウラにあるのは「自分の正義」。だから、ややもすると「俺がこんなに気を遣ってやってるのに...」となりがちだ。
一方で「気を配る」というのは他人への寛容である。そもそも他人同士は分かり合えないこと、すれ違うのが当然だと前提しているということだ。
さすが自称「アニメ歌手」だ。彼は、コミュニケーション力抜群で、運動能力も神がかり的なのだが、その正体は偏執的なまでに超・凝り性のオタクである。
オタク、特にヒーローアニメオタクは、「正義」というものの本質を知り抜いている。
だからこそ彼は、敢えて「正義のために戦うヒーロー」のテーマを歌い続けてみせつつも、「副業」では自分の正義など微塵も表に出さない。
つねに超絶な「気配り」を実践し続けることで、彼は今日の成功をおさめたのだろう。
ただし。彼が「気を遣うな、気を配れ」と教えるアーティストは限定されている。あくまで、世界に出て戦い続けられそうな人財に限って説いているという。
世界のマーケットには出ないほうが良いレベルのアーティストは、日本マーケットで生きていかなければならない。だから彼はへたに「気を遣うな」などとは教えない。この国は「空気」と「正義」が支配しているからだ。
また「気を配れ」とも要求しない。言われて気を配れるようになるアーティストなら、すでにもうちょっと高いレベルにいるはずだから。
相手を見て法を説く。これが彼のプロデューサーとしての「気配り」だということだ。あくまでプロデューサー業は副業らしいけどね。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)