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ある人がある大学の卒業資格を持っているのか?という疑惑が、数年にわたって燻っている。この度その大学は、「その人は本学を卒業している」とステートメントを出した。
草龍は、その件に対して何の意見も関係もない。ただ、「資格」試験の観点だけに沿うと、思うところがある。というのも、本件はかなり「資格」というもの本質をついているからだ。
「資格」の本質とは、「その資格を発行・認証する団体が、その人にその資格を発行している」という事実を示すものだということだ。
「どこかの団体が発行した資格を持っている」ということは、健康診断や陸上競技の記録とはまるで異なるものだ。
「視力2.0のCマークが見えた」「身長が185センチ・体重が83キロあった」とか、「100メートル走で10秒を切った」「フルマラソンで3時間を切った」というレコードではない。
「その団体がその人に資格を発行した」という事実を示すだけだ。それ以上でも、それ未満でもない。
であるからこそ、資格の価値を図るには、その認証団体が信用に値するかどうかがものすごく大事になってくるわけである。
例えば、、、
・お金で資格を売る団体は、信用に値しない気がする。
・偉い人が圧をかけたり依頼したりすると資格が発行されるような団体も、信用に値しない気がする。
・資格要件を満たしているかの測定をきわめて客観的かつ厳格に行い、そのデータもきっちりマネジメントされ、そしてその測定結果だけに基づいて資格認定を行う団体は、とりあえず信用できる気がする。
・資格要件を満たしているかの測定に、あまり客観性も網羅性も感じられず、採点やら集計なんかもいかにもアルバイトさんたちに手作業でやらせてるんじゃね?という団体は、.....。
という感じ。
上記はあくまで資格試験の話なわけだが、世の中にはこれと「非なるけど似ている」話はいくらでもある。
例えば、職場で頻繁に起きるのが、
「なんであんな人が抜擢されてるの?」
「それが、どうやらあの偉い人に気に入られているからしいよ」
「へえ?、あの人、この仕事に関して何もも知らないのにね」
「でも、あの偉い人に指名されるってことが全てだからな」
っていう話。なんであの人が、デジタルトランスフォーメーションの「責任者」なの?あの人スマホも使えないんだよ、なんてことはしょっちゅう起きている。
このように、「資格」を発行認証する人(会社だと「人事権者」)が果たして信用に値するのかどうかは、その「資格」(会社だと「ポジション」)の権能がおよぶ組織全体のモラルやモラールに、とても大きく影響する。
さて、民主主義国家で「政治家」に「資格」を与えるのは有権者である。
イギリスのチャーチル首相は、選挙で大敗したときにこう嘆いた。
「民主主義政治(選挙)は、これまでのどの政治体制よりもマシなだけで、やっぱ最低だ」
資格を認定する者の責任は、とても重い。繰り返すが草龍は一般論として資格の話をしたに過ぎません。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)