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企業の休廃業や解散が急増し5万件にのぼるという(日本経済新聞5/31)。
ここ数年、休廃業と解散は年4万件以上の高水準で推移してきた。これは経営者の高齢化や人手不足で事業承継問題が深刻化しているからだが、そこにコロナが追い打ちとなり、今年は昨年比15%増えるというのだ。
同時に倒産も増えるが、1万件を超える程度とのことで、自発的に事業をたたむ件数が倒産の5倍になるということらしい。
救済が必要である。
ただし救うべきは、「法人」でなく「事業を営むヒト」である。
変わることができない法人の延命を図る意味はない。
変わらない法人からヒトを救い出す方策が求められる。そのひとつとして草龍が提案したいのが、中小法人における「経営と事業の分離」である。
これはいわゆる「所有(資本)と経営(取締役会)の分離」の話ではない。
資本
経営
事業
この3つのうち、「資本と事業」は分離していなくてもよい。いや、むしろこれからは、資本と事業が一体化しているほうがよいだろう。責任をとれない中間管理職がムダに多段階層をつくっているより、決定権がある資本家が事業の全決定権を握るほうが速い。
そのかわり「経営」は、思い切ってアウトソースしたほうがよい。そういう法人は決して少なくない、というより、中小法人のほとんどは、経営を自前で完結するのは無理なのではないか。
そもそも、「事業」に燃えるビジネスパーソンのほとんどは、もともと「法人の経営」なんかやりたくないはずだ。そのための専門的訓練を受けている方ばかりともいえない。
有能な事業者が、不向きな経営にリソースを取られるのは、社会的なムダである。プロの野球選手に球場のメンテナンスをさせるようなもので、それはそのメンテナンスのプロに任せるべきだ。
ましていまは、昔ながらの「球場」を保守しているだけでなく、新しい「エンタメパーク」へと変貌させるべく大きな投資を決行すべきときだ。
それなのに、事業者が経営を兼ねている企業がほとんどである。選手に新球場建設の意思決定までさせている。選手に選手の立場での意見を聞くのは大事だが、選手に新球場パーク構想を承認させてリードさせるのは、どだい無理なのだ。
「紙をなくす?」「RPA導入?」「それ、うちはまだやらなくていいでしょ」「とにかく今日の試合に集中してるんで」
となるのは、しごく当然である。選手は、目の前の選手の仕事に必死だし、またそうであってもらわないと困る。
経営の役割は、事業を不断に改善し続けられる環境を作ること。
その手段として、昨今は「デジタル化・データドリブン化・自動化」すなわち「デジタルトランスフォーメーション(DX)」を進めざるを得ないのだが、これは日々の業務に追われる事業レベルでは決してできないことだ。
つまりDXは経営マターであって、事業レイヤーで進めるべきものではない。
確かに昔、右肩上がりの時代の経営は、こういう感じで済んでいた。
「お?い、そこの情シスのキミィ、DXとやらを担当しといてくれィ。
他社に見劣りだけはせんようにな。でもカネはかけるなよ。しくよろ」
しかし、いまや経営は、素人が誰かに丸投げしていれば務まるというような仕事ではなくなった。
選手として優れていたひとが「経営に上がる」というムラの奇習も、かなりの無理がある。事業の名選手を経営の場に出すことは、昔は確かに論功行賞だったが、いまや恥をかかせることになってしまった。
気の毒に、事業のスーパースターたちが、経営の会議室では決まったセリフしか言えない。
「きみィ、それじゃ説明が足りんよ」
「総論はいいがね、進め方が乱暴だネ」
「もうちょっといろんな人の意見を聞いてだね、、、」
経営レベルの決定は、訓練された経営のプロでも難しい。それを、事業者にやらせるから、 彼らも困って「保留か却下」しかできないわけだ。
事業チームから委託を受けたプロ経営チームが、「事業の選手たちが不断に改善し続けられる新球場」を作り、さあここで戦えと事業チームに引き渡す。そのくらいでないと、DX、いや経営は、もうできないのです。
いま救うべきは、「変わる見込みがない法人」ではなく、「これからも事業を営む人々」である。人々を救う方策のひとつが、中小法人の経営を、資本・事業から
分離することである。
TACで学んだみなさんがその能力と知見をフルに活かして、プロの経営者として腕をふるい、事業者のみなさんを救ってくださることを、こころから期待しています。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)