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「必要かつ緊急」。ヒトは、そういう事態に臨むと、すぐに動く。
動くことは動くのだが、多かれ少なかれ不機嫌になる。
例えば、児童や生徒が休校により予想外の在宅となる。なんなら親も在宅勤務となる。
これでは、家のトイレットペーパーやお米がすぐに尽きてしまう。
まずい。「必要かつ緊急」な事態だ。
ヒトはすぐにスーパーやドラッグストアに走る。
そして不機嫌を撒き散らす。
「必要かつ至急」は、なぜヒトを不機嫌にするのだろうか。「強制してくる感じ」「有無を言わさずやらされる感」がストレスになるからだろうか。
これが「必要ではあるが、緊急ではない」になったとたん、ヒトは別に不機嫌にはならない。
そのかわり、期限ギリギリまでスルーして動かない。
(例:夏休みの宿題、期限延長された確定申告、未だに紙とハンコに囲まれた職場.....)
ヒトは「必要だが不急」のケースには、動かない。動かずに、「必要かつ至急」になるまで、寝かす。そしてギリギリになってから、不機嫌そうに「緊急対応」をする。
さて次に、ヒトは「不要だが緊急」と言われると、「なんか、騙されてるんじゃね?」と不審に思う。
であるから、ここでヒトを動かすには、畳み掛けるような説得の嵐が有効だ。
その説得の仕方を洗練し尽くしたのが、テレビの通販番組やコマーシャルである。
『今から30分以内にお電話くださった方限定で...』の、あれですね。観ているヒトに「なんかバカにされてる気がする」と思わせてはいけない。視聴者をリスペクトする姿勢を前面に打ち出し、すぐ決断した自分を褒められるくらいの心理状況に持っていく。
このように
「必要緊急」
「必要不急」
「不要緊急」
と見てくると、わかってくる。
そうなのだ。ヒトをポジティブに動かすことができるのは「不要不急」なのだ。
・嬉々として自ら動き、
・お金も時間も思い切って投じ、
・自己実現すら感じることができる
それは、「不要不急」なものごとに対してなのだ。
これを逆に言えば、本当に大切なこと、成し遂げたいことに向き合う時にこそ、その目的が「不要不急」である方が良いということである。
このことを、かつてホイジンガ先生は「われわれは、ホモ・サピエンス(賢いヒト)なのではない。ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)なのだ」と説いた。
「資格を取らなければならない(必要)、それも、今すぐに(緊急)!」
こんな感じで切羽詰まると、あなたは不機嫌な受講生になってしまう。
「必要は必要だが、まだ、今じゃないな」
と自分に思わせてしまうと、あなたはまた、何もしない。
そもそも「必要」とは、「不足の認識」である。現状が足りないと思うことである。
つまり、資格を「取らなくてはならない(必要)」と考えるのは、資格がない自分を否定しているということなのだ。その時点で、あなたの心と頭の動きは、かなり硬くなっている。
それがわかっているからこそ、あなたは「資格は必要だけど、緊急ではないってことにならないかな」と、「今すぐに動かない理由」を探すのだ。
それに対して「不要」とは、要するに現状を肯定していること。
資格があったら「もっと良くなる」けど、別になくても「大丈夫は大丈夫」であるという安心感。その時点で、ココロもアタマも解放されている。
だから「不急」の心境にもなれる。決して焦らなくていい。時間がかかってもよいのだ。
「不要不急こそがヒトをポジテイブに動かす」。紙幅の関係で結論を急ぐが、草龍がいつも「世の中は二極化している、ただし、どちらがいい・悪いというわけではなく、向き・不向きで選択するしかない」と言っているのは、この話である。
誰もがデジタル&グローバル族に転身することが「必要かつ緊急」とは思わない。
また、草龍はちょくちょく「(キープ客観&)ステイ上機嫌」をお勧めしているが、これも同じ話だ。
「不要不急こそが、ヒトをポジテイブに動かす」。
個人の成長も、組織の改革も、この実相を踏まえたうえで取り組めば、かなりうまく行く。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)