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まずウイルスの件、続き。
風邪やインフルやCoVid-19などのウイルスは、手に感染はしないが、接着はしてしまう。
ドアノブ・手すり・机・スマホなどから、ウイルスは手にくっつく。
そしてヒトは一日に50回ほど、無意識に顔を触るという。それによって、手についたウイルスが口や鼻などから侵入し、感染する。
物を触ったらこまめに手を洗えばよいが、日常生活では無理だし、洗いすぎて手指が荒れてしまうのも辛い。潔癖症に陥ってしまったら、本末転倒である。
そこでマスクだ。マスクをしていることで、自分の鼻と口に直に触る機会が激減するからだ。
「市販のマスクでは目が粗すぎてウイルスは防げない」と言われるが、ポイントはそこではない。
メガネをかけて、眼をうっかりこすらないようにしておくのも、同様に効果がある。
以上、無理なく入手できるならばマスクはするべきだ、という話でした。
さて、マスクの入手といえば、ある国内の自治体が中国・武漢にマスクを大量に寄贈したことで、住民から非難されているという。
まず、われわれ住民に配るのが先じゃないのか、という非難だ。
まさに好例だ。スーパー民主主義からの「俺の権利が最優先」社会(いいかえると「不寛容社会」)では《利他の精神》は存在しないのだ。
ここで《利他の精神》がないというのは、決して「道徳が欠けている」という意味ではない。まして、「自己犠牲の精神に欠けている」というわけでもない。
《利他》とは、ビジネスライクな合理的優先順位付けのことだからだ。
「とにかく俺の権利最優先」が嵩じると、ヒトはそういう合理的判断ができなくなる。とにかく短期的に、いま・目の前の・自分の権利だけに、固執してしまう。
例に出して申し訳ないが、イメージは「焼畑農業」だ。
目の前の森林を焼き払い、一回か二回耕作する。しかし、すぐに土地はやせ細るので、そこを捨てて、次の森林に行き、そしてまた焼く。
マーケティング理論によれば、この「焼畑農業」式の商売は「愚策」とされている。
新規顧客を開拓し続けるのはとてもコストがかかり、決して儲からない。顧客と縁が得られたら、《利他(この場合は利客)》に徹して、中長期的に良好な取引関係を構築することに努める。そしていわゆる「顧客のLife time value」を最大化する。これが結局、いちばんマーケティングコストが安いという。
繰り返すが、これは道徳とか人道の話ではない。ビジネス論だ。中長期的には《利他》がもっともコスパがよい、という、損得勘定をふまえた合理的な判断なのだ。
したがって《利他》は、間違っても自己犠牲であってはならない。
「自分を犠牲にしてでもとにかく与える」というやり方も、決して長く続かないからだ。
美しく聞こえても所詮、短期的視点でしかない。「自己犠牲」は「焼畑農業」と変わらないのだ。
であるから、《利他》することで相手も自分も大きくなれる、という相手を選ぶ目を鍛えよう。
もしも「このお客様に《利他》しても、価値ある関係を長く続けることは、ちょっとできないな」とわかったなら、すぐに距離を置く。
ビジネスなのだから、そこに情を交えてはならない。特に「埋没コスト」に未練を持ってはならない。
その厳しい判断を繰り返すことによってのみ、みなさんの《利他》経験値が上がっていくのです。
《利他》に徹していれば、逆に他の方々からも「《利他》の対象としてふさわしい人だ」と思っていただけるようになる。
短期的視点の「自己犠牲」では、いつまで経っても誰からも《利他》の対象にしてもらえない。感謝も尊敬もされず、ただ食い物にされるだけだ。それでは、仲間と家族と自部をサバイバルさせることなど、到底できない。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)