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他人を評して「あの人は政治的だ」というとき、それが「ほめ言葉」である確率はどのくらいだろう?ほとんどゼロなんじゃなかろうか。
一方、組織の長老の動きが敢えて「政治的だ」とけなされることも少ない。そもそも長老の存在自体が政治的なのであるから、長老が行う裁定(『けんか両成敗』など)をあげつらって「政治的だ!」と騒ぐムラびとはいないのだ。
つまり、このムラの中で「政治的であること」が許されるのは、長老だけなのだ。ムラの長老でもないくせに、長老のマネごとをして調整ごとを仕切ろうとすると、「ちょっとあの人、動きが政治的なんじゃない」とDISられてしまうというわけだ。
国政選挙が近い。本来なら、10代・20代の若い方々こそ、積極的に政治に参加すべきである。なにせこれから何十年もここで暮らす方達なのだ。
しかし上記のとおり、このムラでは「若いムラビト」と「政治」とは相容れない概念である。それに加えて今の若い方々は、ムラから「ハブられる」ことを極度におそれる。
そんなわけで、若い世代が広く活発に「政治」参加する状況には、なかなかなりにくい。
その代わり、という勢いで、「経営的」に動く方々が増えている。別のクラシックな言葉で言えば、「資本家的」な動きを始める方々だ。つまり自ら起業するということである。
今の日本には、実は起業する条件が揃っている。というのも、これまで長らく日本の経済を牽引してきた「大企業」が、よろこんで起業の手助けをしてくれるからだ。
・今の大企業には、キャッシュが余っている
・しかし今の大企業には、新たな投資案件を自ら創ろうなどと割りの合わないことに挑む従業員はほとんどいない
・しかし今の大企業の株主は、イノベーティブな投資ができない経営陣にきわめて厳しい
・なので、今の大企業は、「外部の人」が自社と組んで起業してくれることを待望している
都心には、大企業による「イノベーションラボ」「イノベーションファンド」が雨後の筍(たけのこ)のように激増している。
この機会を掴まない手はない、ということで、大学生は言うまでもなく中高校生にまで起業意識が拡がりをみせている。
先日もある医療関係の大きな学会に、現役の慶應義塾大学生にして中学の時に起業したCEOさんが登壇した。
彼は、淡々と語った。
「会場のみなさんは年配のお医者さんが多いし、きっと逃げ切れるのでしょうが、我々はもはや自分たちでどうにかしていくしかないと覚悟を決めています。
ですから先生方にお願いしたいのは二つです。
一つは、我々の動きを邪魔しないでいただきたい。反対しても面倒見てくださらないのですから、足を引っ張るのはやめてほしい。
二つは、資本を我々世代に投資してほしい、ということです」
22歳だという彼の口調は穏やかで、まったく攻撃的でもなければ、シニカル(イヤミ)な感じもない。聴衆は彼に大きな拍手を送った。
もちろんこの学生さんは極端に「経営的」な方である。学生さんのみんながみんな、起業し始めているわけではない。それに、同じように極端な例として「政治的」な学生さんたちもおられる。
だから性急な一般化はしないけれども、数十年前とは状況が明らかに異なっている。
大企業の従業員として雇用されることを当たり前とは考えない人が、異端であるとか、規格にハマらないダメな人などと見られることは、確実に減っている。
会社法で「社員」といえば出資者のことであり、会社の従業員は会社法では「使用人」である。このことは、会計プロを目指すみなさんには周知であっても、意外と一般の方には知られていない。
もし知られたら、テレビのコメンテーターさんが「使用人とは、失礼すぎる!」とお怒りになり、会社法や金商法の改定運動が起きるだろう。これぞ「政治的」だ(笑)。
冗談はさておき、「経営的」であることこそが当たり前という世代が育っておられる。ついでに言うとその世代はデジタルネイティブでもある。
経営的でもなければデジタルもできない世代の方々は、決して今までが「悪かった」わけではない。しかし、これからについては覚悟をし直したほうがよいかもしれない。
それは、「長老の政治」に従うムラびととしての覚悟ではなく、「若年層の経営」に服する「使用人」としての覚悟である。
とりわけ、「ユニコーン」を夢見るスタートアップのCEOに「使用」される道を選んだ経理プロのみなさん。大企業の経理パーソンとはまったく違う「覚悟」を持ちましょうね。
そうでなければ、役目が務まらないどころか、経理プロとして一生消えない汚名を着せられることもありますのでね。
(USCPA講座 草野龍太郎先生)